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J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』

 そこに書かれているものをうまく処理できない小説の一つに、J.D.サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』がある。

 読んでいて、わからない、と思うことは多々ある。例えば専門書。興味のある専門書ならまだしも、自分の人生に全く関わりのない部門──医学、建築、科学、生物学などなど数え上げればキリがない──になると、そこに書かれているのが日本語なのかどうかもわからないくらいに、意味が読み取れない。

 例えば説明書。簡単なものならわかるのだ、扇風機の組み立て方や棚の組み立て方なんかは。しかし、パソコン関係は滅法駄目である。手渡される説明書の分厚さに恐れおののき、ついで開いたページに書かれている一つ一つのカタカナに、いちいち突っかかる。さっぱりである。

 例えば法律。少し法律でも勉強しようかと思って六法全書を買って読んでみたことがある。なんとなく言いたいことはわかるが、どこからどこまでが自分の知りたいことを書いているのか、わけがわからなくなる。生活必需品なんて売り文句を帯びに書きながら、この仕打ちである。

 そして小説もまた、わからない、と思うことがあるのだ。この場合のわからないは専門書や説明書とは違う、わからない、だ。文章を読むことはできるし、ひとつひとつの出来事を頭の中で想像しながら読むことだってできる。それなのに最後まで読むと、どうしてこうなってしまったのかわけがわからなくなるのだ。

 

 サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の中でお気に入りだけれども、意味が汲み取れなくて自分の読解力の低さに憂鬱とする小説に「笑い男」がある。どうしてこの小説を読もうと思ったのか、その動機はいつもながら単純なものだ。

 ずっと気になって見れていなかったアニメに『攻殻機動隊』がある。映画やテレビアニメがある作品で、アニメ好きなら一度は観ておかなければ! と使命感に駆られて、近所のレンタルで観た。映画もテレビアニメもとても面白くて、観終わったあとはしばらくサントラが頭の中でぐるぐると鳴り続けていたほどだ。

 その『攻殻機動隊』のテレビアニメ1stシリーズの題材に、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』と「笑い男」が使われていた。『ライ麦畑でつかまえて』は中学生くらいのときに国語の便覧にだったか、そのタイトルが書かれていたので知ってはいた。けれどそれは、その小説がある時期の青少年に大人気だった、という知識だけのもので、実際に読んでみたことはなかった。

 アニメを観て興味が湧いた私は、急いで近所の書店へと駆け込み、文庫を買ったのだった。

 

 軽い小説ばかりを好んで読んでいた私にとって、サリンジャーの小説は難問すぎた。それはいまでも変わらない。きっと、当時の空気や認識なんかを一切合切、詰め込んでいるからなのだろうと思う。けれど、わからないからこそ、思い出してはページをめくり読み進めて、やっぱりわからないと苦悩する。それが嫌といえば嫌だし、でもわからないなりにウンウンと唸って読むという体験も、楽しいような気がする。

 アニメで観た笑い男はひとつの記号だったけれど、小説の「笑い男」は単純なものではなかった。小説の流れはわかるというのに、そこで本当は何が起きているのかを理解できないのだ。だから、ネットでちらりちらりと検索をかけては、そこに書かれているのはこういうことなのだよ、と説明を読むなんてことをする。

 それでわかったような気にはなるのだけれども、小説を読み始めるとそういう知識は頭から消え去り、どうしてこうなってしまったのだろうと不安になるのだ。

 

 こういう小説体験をできる小説を、自分はあまり好んで読んでこなかったのだな、と反省する。と同時に、そういうきっかけをアニメから得られるなんて、ありがたいことだったなと思うのだ。